初めて見に行きましたが、むちゃんこ面白い祭りでした。お奨めです
松平の天下祭と同様に厄除け神事です。地元の方だけでなく広く
参加者を募集。第二東名の工事関係者なども参加していました。
(尚、ここはTOYOTA-FILESではありませんのでご意見などあちらに送らないで下さい)
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早朝はどしゃ降りで心配していましたが、祭りの始まる午後1時からはとってもいい天気になりました

午後1時より、大鏡餅を最初に
町中へ練り込みが始まります

神竹(竹を帯で巻いたもの)を
持って道路を蛇行しながら進む

やはり酒はつきものでとっても臭かったです

外国からも2人参加
 で、この間に、ゆっき思いっきり転ぶ(おそらく10年ぶり)。「おい大丈夫か?」と酔っぱらいに間違われ少々落胆。
しかし、カメラだけは守った自分を振り返り、俺は建築屋か?と複雑な心境。アメリカで生まれてたら、ピューリッ
ツァー賞もんの記者だったかも?ととんでもない事も思う。かなりいっちゃってます。痛さでかなり麻痺しています。
町を練り歩く動画 MediaPlayer必要

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竹昇り
もちろん竹なので、しなって落ちます
だけど田んぼなので大丈夫です


神社へ練りこむ動画 MediaPlayer必要

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厄男を担いで境内へ

境内で
 このお祭りの由来はなんと国府宮だったんですね。だいたい、つぼは抑えましたので、来年の取材は楽になりました。それにしても足と腕、いたーーい。来年はプロテクターやな。
中田大国霊神社裸祭りの経緯 (参加者募集パンフレットより)
  1. 昭和7年中田村の氏神八幡社の改築の際、八幡神社本殿内に尾張国府大国霊神社の御塞が安置されているのが見つかる。
  2. 早々、村民有志により八幡社西隣に御神殿を新築し、中田大国霊神社と称し、御本社尾張国府より御分社の認産を受ける。(昭和9年)
  3. 前記の由来により尾張国府御分社として、古例の御神事を御本社同様に毎年行う事とし旧正月23日を祭礼日と定める。(現在は3月の第1日曜日)
  4. 昭和10年には尾張御本社宮司の御来臨をいただき、御神事社(裸男)が裸で知立駅まで、お迎え・お見送りをする。
  5. 途中、日支事変・大東亜戦争などのため余興を見送る。
  6. 昭和34年 伊勢湾台風で再び余興を行わなくなり、以後神事だけになる。
  7. 昭和53年 20年ぶりに「裸祭り」を再開する。
  8. 昭和天皇が1989年1月7日に崩御、翌2月24日に『大喪の礼』が執り行われる事になり、御本社尾張国府は『大喪の礼』に配慮し、裸での祭りを中止する。中田神社もそれを受け平成元年に限り裸での祭りを中止する。
  9. 1990年より「裸祭り」を再開する。
  10. 1992年「60周年記念祭」として、尾張御本社宮司の御来臨をいただき、3月1日に『裸祭り』を開催する。
  11. 以降、毎年100人以上の参加者を迎え盛大に行われる。
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